ある非日常的力学について。

不定期に思いついたまま頭に浮かんだことを書いていきます。

「くまのプーさん エチケットブック」から考える、「価値があること」について

妻のエステ中、ショッピングモールの中にある書店で、あてもなくぶらぶらと眺めていると、すごいタイトルの本が飛び込んできました。

その名も、「くまのプーさん エチケットブック

クマのプーさんエチケット・ブック (ちくま文庫)

クマのプーさんエチケット・ブック (ちくま文庫)

しかもですよ、この本となりのコーナーは哲学書や著名な小説の文庫でした。

僕の好奇心メーターは、書店の片隅で振り切れて火を吹いていました。

書店員の方は何を考えてカントの「純粋理性批判」の隣にプーさんを並べたのか!?

プーさんってそんなにエチケットやら道徳やらを説いているストーリーなのか!?

どんなマーケティングの末この本を出版しようと思ったのか!?

気になる!プーさんかわいい!

ということで、今回は「くまのプーさん エチケットブック」を紹介します。

以下ネタバレ注意。

あらすじ

不朽の名作『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の名場面とともに、プーさんが教えるマナーとは?たとえば―。

「不意にたずねていった先では、(中略)お茶を催促してはいけません。でも、それとなく身ぶりで示す(たとえば食器棚のほうをちらっと見る)くらいなら、かまわないでしょう」。

思わず吹き出してしまいそうな可愛らしい教えたっぷりの本。

筑摩書房 紹介ページより抜粋)

くまのプーさんシリーズの中で、エピソード中に語られるエチケットについて、抜粋してまとめたのが本書です。

ただひたすらに、プーさん(もしくはプーさん関係者)が、ご飯を食べるときや、よそにお呼ばれしたときに、「こうした方がいいよ」的な話が、ぶつ切りになってます。

プーさん、ええことゆーやん…

この作品の中で、特に興味をひかれたのは、後半の「第2部 じゅうようなたしなみについて」の部分です。

  • きょう、晴れたからといって、べつにどうということはありません。あしたは、あられがたくさんふるかもしれないし―雪や嵐になるかもしれないのですから。(P137)

  • 川はちゃんと知っています。急ぐことはない、いつかは着くべきところに着くってことを。(P153)

  • なにもしないでいること―ただ歩きながら、きこえない音に耳をすまし、なにも思いわずらったりしないこと。そのたいせつさをみくびってはいけません。(P155)

・・・なんかいいこと言ってる気がしません?

熾烈な経済競争の中、世知辛く忙しく働くサラリーマンは、

「急ぐことはない、いつかは着くべきところに着くってことを。」

なんて言葉に一番弱いのです(当然わたしも)。

昨今「働き方改革」と言われ、バリバリ働く企業戦士より、生活にゆとりを持ち、自分の時間を持つことが価値があると喧伝されています。

もしかして、そういった風潮にのっかったもの?

なんて邪推してしまいましたが、作者のあとがきを読んでその思いは若干的はずれなのかなぁと思いました。

しょせんプーさん

“朝おきたとき、一番はじめにかんがえるのが、「朝ごはんは、なににしよう」ということであろうと、「きょうは、どんなすばらしいことがあるだろう」ということであろうと、つまりはおなじことなんです”

複雑な言い回しを呈しながら、この「何も言ってなさ」は、もはや過激でもあります。

(訳者あとがきより)

この話の主人公は、プーさんなので、特に深い含蓄があるわけではありません。

プーさんは百エーカーの森で仲良く気ままに暮らしているだけです。

プーさんには、納期間際のピリピリも、上司からのプレッシャーも、後輩の追い上げも、理解できません。

長時間残業もないし、そもそも働いていません。

では、なぜプーさんの言葉に何か意味があるような気がしてしまうのでしょうか?

「価値」とは何か?

「それは疲れているからだよ」なんて言われてしまえばおしまいなのですが、それは考えるためのヒントになっています。

プーさんの言葉に癒される人は多いと思います。「ゆっくりやっていこうよ」という言葉は、疲れた心に優しく染み入るものです。

でも「ゆっくりやっていこうよ」という言葉自体には何か意味があるわけではなくて(だってプーさんが言ってるので)、聞いた人が「いいこと言うなあ」と思わない限り、そこに価値はないわけです。

この考え方をもっと一般的にすると、価値とは何か?という問いに、一つ答えを出すことができます。

それは、価値の有無は、肯定的な評価をするか否か、という考え方です。

これは正しい、これは美しい、これは真だと思え思うほど、その対象の価値が高まっていくのです。

なぜなら、対象自体には価値がなく、人がその対象に触れて初めて価値なるものが発生するからです。

「これは素晴らしい!!」という感情は極めて主観的なものであって、客観的に定量化することは困難だと演繹することができます。

プーさんから学ぶ、人生の処世術

これまでの話を踏まえて、改めてプーさんの言葉を紹介しましょう。

  • じぶんがとても頭のわるいクマだったとしましょう。そうなると、なにかをかんがえついたとしても、そのかんがえが、じぶんの頭にあるうちは、じつにすばらしいものに思えるのに、いったんあかるみにもちだされて、他人にながめられてみると、まったくちがうものになってしまうことがあるのです。

  • 脳みそのある、頭のいいひとたちというのは、じつは、何もわかっていあなかったりするものです。

「頭の悪いクマ」は、とにかく自分が良いと感じたものについて良いと評価します。

でも頭が悪いので、他人からの目線は考えられません。

一方頭の良い人たちは、悪い人たちと違って他人の目線から考えられるので、他人から見て良いものを考え出せることができます。

でも、それは自分ではない他人の評価なので、移り変わりが激しいものが多いことでしょう。

価値とは肯定的な評価をするか否かという観点に立てば、自分で作った考えが他人の評価次第であるということになってしまいます。

移り変わりの激しいものに、自分の考えの価値が決められてしまう、ゆえに疲れるとも考えられます。

ここまで考えているかどうかはわかりませんが(たぶん考えてはいない笑)、プーさんのほほえましさは、他人の意見はまず置いておいて、自分の直観に素直である強さに支えられています。

こんな結論に至ってしまうのは、私自身が自分の直観に従うことに価値を感じているからでしょうね。

最後まで読んでいいただきありがとうございました。